私のキッカケ

私は、1988年に検査入院し、進行性神経難病「脊髄小脳変性症」と多発根神経障害と診断されて、鍼灸を初め気孔、ありとあらゆる 東洋医学に、果ては加持祈祷にまで頼りました(他力)。10年近く週に二回は真冬でも素足に下駄を履いて 5〜6キロ散歩しました。その甲斐あってか、同じ病名の人に比べて進行はゆっくりしていましたが、確実に病は進行し、 遂に2001年、歩行困難になってリストラ覚悟の入院を余儀なくされました。

「入院、回復が見出せないままの退院、在宅で介助を受ける生活、リストラ」と悪い要素ばかりを前にして、 副作用のリスクが高い薬の投与を決断した時、副作用が出るのも・出ないのも 私の脚注1. 「命の力」如何 と居直りのような心境になった時に、体調管理を全面的に他者に委ねることを止め、自分の力を頼り に社会復帰することを誓ったのです。

その日から車イスを使って、リハビリ室でのリハビリとは別に、朝食前約2時間・夕食後約1時間独自のメニューを作って 励みました。結局リスクを覚悟した薬の効果はみられませんでしたが、 副作用が全く現れなかった事、一心不乱にリハビリをやり通した事は、私には大きな自信になりました。

退院して、在宅での療養を始めてからも、自分でリハビリのメニューらしきものを作って、 段階的に筋トレ・プールでの歩行訓練等に取り組みました。

緩やかですが改善に向かいつつあると思えた直後、いろんな動作が困難になり、採血に異常な数値も現れました。 「こんなにリハビリに取り組んだのに病気には勝てないのか?」 という思いでした。病気の進行を認め、入院の予約もとって、白旗を揚げたまさにそのとき、運命的としかいいようのない 助言をもらいました。

「再入院による、有効な治療手だての可能性が皆無に近いことを考え、 病院での入院生活が、日常生活を行うのに必要な体力・筋力だけでなく気力まで奪いかねないリスクを考えると ギリギリまで在宅でのリハビリを続けることを薦める」という言葉に、「もう一度賭けてみよう」と思いました。

午前中に出来ていたことが午後には出来なくなって、恐怖感と挫折感に呆然として、 一日も早く入院したいと思っていた私が、急転直下「頑張ろう」と思った瞬間から 身体の中に力が漲ってくるようでした。

何故ストレッチだったのか、その辺は極めて曖昧なのですが、身体を動かせば動かすほど、疲労がたまって却って筋肉が緊張し、 硬くなってスムーズな動きを妨げているという自己判断と、発病以来、人間の身体とは思えないくらい重く・硬く、 無反応・無機質な体から開放されたいという長年の願いがあったからではないかと思います。

兎に角、その日からストレッチによるリハビリがスタートしました。 ストレッチによる体調改善の確信など全くありませんでしたが、 周囲(訪問看護士・理学療法士・ヘルパー)の人にも協力してもらって自問自答の日々でした。

ストレッチを始めて、数ヶ月も経つと少しづつ身体が柔軟になり、それが実感できるようになりました。 そうなればストレッチに費やす時間も我慢も苦とは感じず、その先を早くみたいと思うようになりました。

私にとってリハビリは、強制されたルーティンや忍耐というものでなく、積極的・主体的に 自分の身体を管理する当たり前のことなのです。 従って、「前向きやな〜」とは思いますが、他人が思うほど大変な思いをしているとか、努力をしているとは思っていません。 寧ろ柔軟になったその先やもっと効果的な方法のことを考えています。

身体は確実に柔軟になり、その成果は些細なことに少しづつ現れてきましたが、 改善に結びついているかということについては、疑心暗鬼でした。

体調変化の記録を残すようになってから、それを見てやっていることが 間違いないことを確信しました。

改善の途上にあっては、幾つもの後退局面と思われる不思議な現象(歩行が以前以上に不安定になったり、 握力が弱くなったり、毎晩のように激痛で目が覚めたり等々) が起こるのですが、それが病的な進行によるものでないこと、 改善のための前兆現象であると断言できます。

現段階では、第三者が改善を認めるところとはなっていませんが、 自覚レベルでは、例えば長年私を苦しめてきた身体の締め付けが軽減し身体が軽くなりました。身体がツルことがなくなりました。 末端の冷えが解消されました。肩こりや腰痛がなくなりました。疲労感が随分違ってきました。

そして何よりも、告知から18年も経過して、歩行できますし、会話できます・嚥下も出来ます。 大抵の人が口にするのは「その病気ではないのでは?」といいます。 (それくらい、この病気の進行が不可避なものらしいです) しかし、歩行が殆ど困難になり・呂律があやしくなり・震顫もあらわれた時期がありました。 私の病気がその病名かどうかは、生身の人間を見ようとしない、固定観念で判断する人たちに任せることにして。

以上が私がストレッチを始めたキッカケと経過です。


脚注1.

「命の力」という言葉は、小林秀雄の「モオツァルト」の中に出てくる言葉で「命の力には、外的偶然をやがて 内的必然と観ずる能力が備わっているものだ。この思想は宗教的である。」私は、この命の力という言葉を、生物学的「生命力」を 凌ぐ、人をあらゆる逆境や不幸に立ち向かわせる活力と捕らえています。



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