病名を知った後

症状の推移 病院との関係 治療とリハビリ
脚注1. 身体は鋼鉄を背中に背負った様に重いし、動作は緩慢でバランスはとりづらかった。 身体の重さは少しはマシになりましたが、歩行は極めてゆっくりと悪化しました。 口笛はかなり早い段階で吹けなくなりました。全てがオカシクなっていくようでした。 病院へは月に一回程度通院していましたが、「変りありません」と答えてました。信用していなかったのではなく、 有効な治療法もないのに入院することでシャバ(社会復帰)に戻る気力を失いたくないと思っていたからです。 鍼灸、按摩、カイロプラクティック、気孔、オステオパシー、ニンジンジュース断食、加持祈祷など紹介をうけるとどこへでも 行きました。 又、土・日・祭日は1時間半から2時間早足の散歩を欠かしませんでした。
脚注1.
退院後4〜5日で職場復帰したように思います。最初は1時間再入院前は2時間半を費やして通勤しました。
  • 復帰後数年間の会社の記憶がありません。朝目覚めると耳を澄ませ、雨が降っていないかを確認し、 無事に会社にいけるか・昼は何をどこで食べるか・夕方はどうやって帰るかを考えてました
  • 家では食事の時以外は横になっていました
  • 発汗異常のため夏はスーツの上着まで汗で濡れていましたが、どんなに汗を掻いても指先は冷えていました
  • 箸は全く使えず、スプーンを持つ手も震えて片手でフォローしないと口に上手く運べなくなっていました。 手足のコントロールが次第に困難になっていきました。
  • 狙ったプッシュボタンを押すのが困難になりました
  • 顔色が悪く、「ショッカー(仮面ライダーに登場した目の周囲が黒い悪役)顔」と呼ばれていました
  • 言語障害も出て、何度も聞き返されるようになりました
  • パーキンソン病患者に見られる「振戦」「固縮」「すくみ足」「突進歩行」もありました
  • あらゆる自律神経が少しづつ狂いだしたようでした
  • 階段昇降も最初の頃は手摺に掴まり1段づつ、次にはエスカレーターを使って、更にはエスカレーター も困難になって、エレベーターだけが頼りでした。それも無い所では見知らぬ人に声をかけ介助してもらいました。


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