| 病名 | 私の行動 | 理由 | |
|---|---|---|---|
| 脊髄小脳変性症・脚注1.多発根神経障害 | 転院を断り、東洋医学に託す | 脚注2.叔父の情報を信頼。病院に根付いてしまいそうな自分を振り切る | |
| 症状 | 入院当初は手だけに異常が見られたが、退院時には電車への乗り込みも危なく、バランスの保持が困難になり 階段の昇降も何かに掴まらないと出来なく、身体の反応も鈍く、自分の体ではないような違和感と重さを伴っていました。 「2〜3年後には寝たきり」を予感しました | ||
「神経炎とは末梢神経組織に炎症細胞が侵入して、炎症を起こして末梢神経障害が出現する場合に神経炎と称します。 慢性でも急性でも神経組織に炎症がおこっているか否かは神経組織を一部摘出して顕微鏡的な検索にて初めて神経炎と診断ができます。」 とあります。そして「慢性炎症性脱髄性多発根神経炎」は、 最初の発病時はギラン・バレ−症候群と同じような発病の仕方をすることがありますが、 慢性進行性、再発、再燃を繰り返していく病気です。」しかし、「多発根神経障害」は「慢性炎症性脱髄性多発根神経炎」とは若干異なります。 「多発根神経障害」のほうがより広い概念で、炎症を含めて色々な原因で生じた 神経障害に関して付けられる病名のようです。
門外漢の私にはよく解りませんが、原因が特定出来ない要因で神経に障害が発生したことは間違いないようです。私の場合は手足の触覚が全くなく、位置感覚もありません。 簡単に言うと、モノに触れている感覚がないので目で確認するしかありません。例えば、茶碗を持っていても、目を離すと傾いていようが、 落っことしていても解りません。位置感覚がナイというのは目を瞑った状態では自分の手足がどこにあって、どんな状態にあるかが 解らないということです。従って、歩行を助ける杖や歩行器も役に立ちません。
私の叔父は当時、私が検査入院した病院と緊密な関係にある大学に勤務しており、その関係で病名を下す経緯や根拠を 調べたようです。それを聞きましたので「どこへ行っても結論は同じ」と判断し大学病院への転院も断りました。
私は検査入院の約40日の間、週末になると電車を乗り継ぎ自宅に帰っていました。その経路には、オフィス街の淀屋橋、 地下鉄のメイン幹線の御堂筋線、大阪ミナミの中心地「難波」があります。自宅に帰る度に、自分が街のスピードや障害に ついていけないのを感じました。病棟に戻り、隣のギランバレーの患者さんや他の人たちを見ると不思議な安堵感を持ちました。
「これ以上ここに居るとシャバ(社会)に戻れなくなる」この思いが転院を断り、退院後数日で出社した大きな理由 でした。