手帳が示す現実

18年も前に体調の異常を感じ検査入院中に病名告知を受けた時の事でした。

会社に提出する診断書を医師に依頼したとき、「脊髄小脳変性症という病名を 書きますか?」と問われ、意味が理解できずに「どうしてですか」という私の問いに 「不利益を被られる事があるかもしれないので・・・」と言われました。

私が医師の言葉の真意が理解できたのは、出社した後最初の出張から帰ってきて上司の労いの言葉ではなく 困惑の言葉を聞いたときでした。

「本社から電話がかかってきて「何かがあったら会社の責任になる」といわれたという上司に。 私はムカッときて「あなたに出来るんだったら私は行きませんけど・・・」と言い返していました。

私は上司にとっても、会社にとっても 厄介者になったのでした。

私が出社して長期休暇で迷惑をおかけした事を得意先に詫びに行った時に、ある一部上場会社の人から 「理由はどうあれ、第一線に復帰できるなんて甘い会社ですね」と言われました。 社会一般の本音はそこなんだと私は思いました。

それ以降会社の私に対する評価は「障害者」がベースだったように思います。

それから何年か経って「身体障害者手帳」という存在を知って、医師に手帳取得のための診断書を依頼したときに 「会社に申告すると不利益を被るので、申請しないという方もおられますが・・・」という言葉を今でも私は忘れません。 「大丈夫です。これまで十二分に不利益を被ってきましたから」と私は答えました。

私の会社だけ特別なのではなく、障害者が健常者に混じって就労する現実を垣間見た思いがしました。 しかし、その後私には最大の不利益が待っていました。

長引く不況を前に我が社にもリストラの嵐がやってきました。 売り上げ・利益率から割り出した理想の社員数まで人員を削減するための早期退職者の募集という名の リストラは人件費の高い高齢者を皮切りに、肩たたきが開始されました。

仕事が出来るとか出来ないという評価については、立場や思惑によって意見が割れる事がありますが、 「障害によって他人と同じようには出来ない事がある」というハンディの有無は万人の認めるところです。 直接「辞めたら」という声はかけられなくても、言わずもがなの視線は痛いほど感じました。 そしてどんどんと窓際に追いやられました。

厚生労働省をはじめとするお役人が企業の障害者雇用を 数字として取り上げ声高に評価する時、そのような実態を把握しているとはとても思えない。 障害者という社会の厄介者を預かってやっているという決して口外はされない企業(会社も企業人も)の側面 を抜きにして障害者雇用を語ってはならない。