福祉は前進しているか(2)?

介護に携われている人が勘違いされているなと思う事がある。 身体の不自由なお年寄りや障害者と接しておられる内に、自らの行為にいつの間にか陶酔し、 善行を施している自分を高みに置き、介護を必要とされる人を見下す上下の関係を持って、 臨まれていると感じてしまう。あくまでも業務としての契約関係に基づいて行われている筈なのに、 立ち場は対等でなく、「〜してあげている」というニュアンスの籠った「だから・・従いなさい」 という意味合いを感じてしまう。

そんな人たちは、驚くほど利用者との約束の時間にルーズ(無頓着)である。
私は杓子定規に約束の時間に5分や10分遅れた事を問題にするつもりはない。 利用者から利用者のお宅を休息もなく、車で移動されていることを考えると多少の前後は致し方ない。
しかし、約束の時間に遅れた時に「遅れて申し訳ない」とエクスキューズするのは、マナーだと思うのですが、 それを云われる方は稀である。寧ろ、そんなことが度重なってそれとなく指摘すると怪訝な顔をされる方の方が 多かった。

どんな人にも時間は平等で、その貴重な時間を無為にさせてしまったことを詫びるのは、常識ではないか? 例え、遅れた側に止むを得ない事情があったとしても・・。厳しいビジネスの現場では、不慮の事態も予測して 時間を守るのは常識なのだから。

それとも単独での外出が困難な者は、常にベッドにいて年がら年中暇を持て余していて、 約束など不要だと思われているのだろうか?ADLに支障をキタス者には、約束の時間前に排泄等を済ませ、備えなくてはならない。 困難になればなるほど時間は掛かり、人によっては他人の手を煩わせなければならない。 介護の現場に従事していて、そんなことにすら思いが至らないのだろうか? しかし、ヘルパーさんの名誉のためえに言っておく、調理や家事全般・身体介護の担い手であるヘルパーさんは時間で 厳しく管理されておられる所為か、時間厳守の方が殆どである。

困難事例も手がける評価の高いケアマネさんが・・
件のケアマネさんと初回の打ち合わせの時に、1時間近くも遅れてこられたので、 やんわりと不快を表明し、2度目も事前連絡もなく大幅に遅れられたので痛烈に抗議したら、 「電話番号が分からなかったので」と言い訳をされた。いろんな角度から時間に遅れるという行為について 説明をしたが、彼女には真意は伝わらなかったようだ。その後も他の利用者さんとの間では半日はおろか日付を跨ぐような 約束の不履行が続いているようだ。確かに、彼女は弁もたち、情報量も豊富だ。しかし、彼女には知識を掴むことが出来ても 利用者の心を掴むことは出来ない。そんなケアマアネを評価する会社と行政は何を見ているのだろうか?


介護保険の更新のための面接調査依頼で
行政から件のアポイントメントの電話を貰った。応対された方が「都合のいい日を仰って下さい」と云われたので 伝えようとすると、その前に自分の都合を話されるので、それを制し、私の都合の良い日を告げると、全て折り合いがつかず、 挙句の果ては、「何でそんなに予定があるのか」というニュアンスの事を告げられた。 外出困難者はすることもなく、いつも暇と思っておられるのだろうと思った。


指示医の訪問を取り付ける理学療法士さんと
理学療法士さんのリハビリを受ける際には、医師の指示書が必要となる。 新しいところから訪問リハビリを受けることになった。帰宅すると留守録が点滅していた。内容は翌日に医師が訪問する予定が 録音されていた。私は翌日その時間には主治医の診察があって不在である。病院に電話を入れると受付は既に帰宅されていた。 理学療法士さんのセクションに電話し、電話に出られた方にその旨の伝言をお願いした。しかし、後日分かったことだが伝言は 伝えられず医師は当日我が家を訪問され空振りだったらしい。そんなこともあって今度は訪問に来られた理学療法士の方が 医師の訪問日の約束を取り付けるべく日程を質問された。○月○日は都合が悪い。○月○日も都合が悪い。 と答えると、不機嫌そうに一人での外出が困難なあなたにいったい何があるのかという口調で 「都合の悪い日の予定を詰問された」私はその日限りで訪問リハビリを断った。

ここに上げた事例は、事業者の指定を取り消されるようなモノではない。 多分、ニュアンスこそ多少違ってもよくある風景と私は思っている。 利用者さんの中には、私が嘗てそうだったようにそんなものだと受け止められている方も多いに違いない。 又、制度自体が複雑で誤解されている方も多いに違いない。