福祉は前進しているか(1)?

肥大化した財政支出の削減が福祉にも及んでいる、その点から福祉の現状を憂う人は多い。 確かに、福祉に向かう歳出削減をする前に見直すべき個所は数多くあるように思う。 しかし、この時期だからこそ、福祉を質的側面から真に利用者(被介護者)の視点から問い・見直す必要があるのではないか? これまで、ややもすると理念や福祉先進国といわれる北欧を引き合いに出しながら、 日本の現実とかけ離れた机上の空論の基に議論がなされるか、 介護をする人の立場から、質的側面の検討が行われ施策が行われてきたのではないか。 しかし、自分が被介護者の立場になって立場が違うことで、見えるもの、評価そのものが随分異なることを知りました。

ここにシリーズで紹介するケースは、私が直に見聞し、肌で感じたものです。 悪質な水増しの不正請求でも利用者の虐待でもありません。合法的で、程度の差はあっても常態化していることです。 寧ろ、何等疑問を抱くわけでもなく、当然のように思われたり、行われたりしているからこそ、 福祉が掲げる理念や精神と大きくかけ離れた現実に愕然とするものです。

質的側面を厚生労働省は、資格取得要件の高度化、研修の継続と義務化、形式的で・ 内実を示さない情報公開の整備等々で対応しようとしているように思えます。 つまり能力や知識・技術的側面の強化によって、補えると考えられているように見受けられます。 しかし、私には福祉という職場は他の職種と違って知識・能力・技術的側面の前に、心構え・人に対する向き合い方が 最も重要で、知識や能力・技術は後からいくらでも補えるが、心構え・人に対する向き合い方は、並大抵では身に付かないし、 キャリアを増すほど見失いがちになると思っています。私は在宅療養の5年間にそれを利用者(被介護者)の立場から 見てきました。知識・能力・技術的側面で長け評価が高い人、より高い資格を有する人が利用者の前では高慢に振舞われるのを 目の当たりにし、耳にしてきました。

そんな人程、相手によって態度を豹変する。権威の前では媚びへつらい、弱い者の前では居丈高になる。 知識・能力・技術的側面に長け高い評価を受けることで、益々勘違いし利用者の個性を尊重するどころか、 自分の価値判断を押し付け、挙句の果ては利用者の我儘と問題をすり替えてしまう。 私は嘗てそんな経営者に反発し、一方的にサービスの提供の中止を言い渡された。それまでの領収書を要求すると、 一度も領収書を発行していないにも拘わらず、領収書の文書料を請求された。根拠を聞くと契約が切れたのでという 間抜けな返答が返ってきた。ケアマネを通して相手の非と矛盾点を指摘すると手違いでという言い訳が返ってきた。 私は、感情に任せ怒りをぶちまけているのではない。もしそうなら即座に国保連に訴えていた。

その事業者では、利用者に言われた事以上の事をしないよう経営者は指導していた。 そしてヘルパーさん同士が相互を監視し、通達するようにしていた。 均一なサービスを提供する狙いと何も知らない利用者が善意を当然のサービス提供と勘違いするのを防ぐためと 言い訳するかもしれない。 その結果その事業者では、ヘルパーさんは知らず知らず利用者よりは経営者の 顔色を窺うようになってしまう。

こんなことがあった。事例1
5分程度は平気で遅れ、所定の仕事が終わると時間前にも拘わらず「終わりました」と声をかけられる ヘルパーさんが居られた。週に1度は来られるヘルパーさんと気まずい時間を過ごすのが嫌だった私は「ありがとうございました」と 声をかけ帰ってもらっていた。ある時管理者の方から電話があって、○月○日はその方は授業参観があって通常より 5分早く入室し、5分早く退出させたいが承諾してもらえるかという内容だった。その程度は日常茶飯事のことなのに どうして?と疑問っだったが、多分経営者へのポーズだったのだろう。因みに請求書の明細は、 サービスの開始と終了はいつも定時となっていた。
事例2
調理を終え、私が食事をはじめると腰掛け、話しかけるヘルパーさんがおられた。 病気のために手が思うように操れず、犬食いのような食べ方になるので嫌だったが言えなかった。
事例3
熱心で良い人なんだけど、味噌汁に納豆と簡単な1品に35分くらいかかってしまう ヘルパーさんがおられた。私は昔から早食いで5〜10分で食べ終えていた。10分ほどで あと片付けをされて、5〜10分座って話しこまれた。
事例4
空いた時間で冷蔵庫の中の整理、コンロ回りの清掃等に時間一杯まで骨身を惜しまず働かれる方がおられた。 その方の口癖は「こんな風にしていることを言わないで欲しい」というのが口癖だった。

サービス提供の中止を申し出た管理者は「ウチを使っていてアナタから苦情がでなかったということはサービスの内容が 良かったということでしょう」と胸を張られた。又、各ヘルパーさんのサービス内容を把握しているというのが自慢だった。 私が苦情を言わなかったのは、頻繁に来られるヘルパーさんとの間で 気まずい時間を作りたくなかったから、赤の他人に介助をおかけしているという申し訳なさからだった。 (同様の気遣いと遠慮で黙っておられる方が多いのではないだろうか、又事業者の中には利用者の無知や勘違いに手を焼くと云う 表現で利用者側がトラブルの原因のように言われる方が多い、しかしサービス提供者ですら知らない事が多く、しかも細則が 時間経過とともに変化していく制度を、詳細なルールも説明も聞いていない利用者が知らないのは当然ではないだろうか。 その任に当たるのがケアマネージャーであり、その前提で関係者は接するのが当然であり、無知や勘違いに手を焼くと云う表現は正確さを 欠くと同時に、利用者を見下す態度の現れではないだろうか) その程度の事も想像できず、満足なサービスと管理ができていると勘違いしている経営者・管理者がたくさんおられるようである。 そういう事業者の謳い文句は「親身な・・」とか「365日24時間あなたの傍に・・」の類である。 因みに件の事業者は知的障害者へのボランティア活動と経営者・管理者として指導者のための研修・知識の習得に 余念がないというのが自慢だった。

今私は、いつも「私の笑顔、喜ぶ顔」を一番に考え楽しみにして下さるヘルパーさんに囲まれ、見守られ、励まされ 血の通った笑顔の絶えない介護を受けている。 しかし、上に紹介した事業者のような所に振り回され、気苦労の絶えない利用者のかたがたくさんおられることを思うと 強い憤りを禁じ得ない。 件の事業者にとって都合の良い形ばかりの利用者の声でなく、本音が吸い上げられる福祉を望んで止まない。