2006.11/16 改善の見られないリハビリ(後編)

前回お話した、自分で歩行を困難にしているとは

人は身の危険を感じると、咄嗟に身を低くし身体を固くして万が一に備えます。 それは動物としての自己防御本能に違いありません。 では、その自己防御本能が常態化するとどうなるでしょう? 「転ばないようにしよう」という意識は、身体中の筋肉を関節をガチガチに固くしてしまわないでしょうか。 地面をしっかり捉えよう、ブレないようにしようという意識が過剰に働いて、 太ももや脹脛の筋肉だけでなく、股関節・膝関節・足首の関節までロックされたように固くなって、 変化に対応できなくなりはしないでしょうか。 特に下り坂や階段を下りる時には、登り以上にしなやかに筋肉や関節が 対応しないといけないのに、固くなった筋肉や関節が「突っ張って」スムーズな歩行を妨げるに違いありません。 その状態で歩行しようとすると体に過剰な負担がかかり、疲れやすくなり距離を稼げないのも当然ではないでしょうか?

歩行というのは本来上半身の助けを必要とせず、下半身と上半身が別々の働きをするのが普通のようです。 (勿論、下半身のブレに対応し上半身もバランスの保持に貢献している等という点では連携していますが) 手で荷物を持ったり、抱えながら歩くというように、同時に二つの機能を果たさないといけないので、 上半身が必要以上に歩行動作に加わる事は理に適わないようです。 しかし、下半身の筋肉や関節が固くなった状態では、下半身の力だけでは容易に体重を前に運べないので 上半身の助けも必要になります。腕を振ると歩きやすいという理由は、勿論それだけでが理由ではないでしょうが、 それも理由の一つのように私は考えています。

そして一度転倒でもし、不安が加速すると「慎重に・転倒しないように」という意識は無意識に腰を引き、歩幅を狭くし、 背中を丸くしてしまうようです。所謂抜き足・差し足になり、ベタ足歩行になります。 人の動きというのは本来最も効率の良い、理に適った動きを体得しているようです。 例えば、健常者の歩行では踵からの着地を利用した回転運動という効率の良い方法で重心を 前に運んでいます。しかし、ベタ足歩行ではその回転運動が利用できませんから、身体を前に運ぶために 過剰な体力を必要とします。同病者の多くの人が口にされる疲れやすいとか身体が重いとかいうのは そのせいではないでしょうか?

当然、その歩行スタイルは重心を前に運ぶという点だけでなく、バランスを保つという事にも大きな影響を与えることになります。 つまり歩行は片足による立脚と両足による立脚を交互に行いながら、そのうえ片足立脚を左右交互に行い、バランスをとりながら 身体を前に運ぶという方法をとっています。従って、ベタ足や過剰な筋肉や関節の固さがスムーズな体重移動を妨げえると バランスも不安定になります。 自分の身体が不安定で危なっかしいという意識はマスマス体を固くします、まるで負の連鎖のように。

間違ったリハビリでも書きましたが、筋力をつけるリハビリの重要性がよく言われます。 確かに、どんな場合でも一定の筋力は必要です。しかし、この言葉が危険なのは、前提を度外視し、筋力を つけることだけで問題が解決するような錯覚を与えてしまう事です。この病気の方が転倒したり、フラツイたりするのは 筋力不足が原因である事よりも、筋肉や関節の協調運動が上手く行われない事に理由がある事の方が多いのではないでしょうか。 つまり、左から右、右から左への片足立脚と両足立脚の流れを見ると、ある特定の筋肉に着目してみると弛緩と緊張が 他の筋肉や関節と連携しながら交互におこなわれています。つまり、緩むところで緩み、収縮するところで収縮しないと スムーズな動きも安定も得られないのです。 つまり、収縮しっ放しでは、却って動きを制限してしまうのです。ですからある筋肉に負荷をかけて、パフォーマンス アップに努めるには、筋肉の弛緩と収縮が他の筋肉と連携しスムーズに行われるのが前提となります。 つまり、自己防御本能の働きで固い(収縮)筋肉のままでは動作に制限が加わるだけでなく、 安定性を欠いてしまいます。

だからこそ、どこかに筋力不足があって歩けないのか、他に理由があるのか、両方に原因があるのか そして、それぞれの課題を解決するための段階的リハビリが必要と私は考えています。 最も、ここに私が書いていることはあくまでも私の経験に基づく仮説で、人間の意識が筋肉や関節にそこまで影響し、 正常な動きを妨げいるとは誰も考えてはおられないようですし、歩けない全ての理由は小脳萎縮で、それはリハビリでは 改善しないというのが常識で、同病者の方もそれを受け入れられているように私には思えます。

次回は、ストレッチの重要性について。