たくさんの脊髄小脳変性症の人が医師の指示の基に 理学療法士等の助けを得てリハビリを行っているにも拘らず改善しないのは何故だろう? 私は再び歩けるようになったのに、専門的知識を持った医師や理学療法士等 の基で多くの人はどうして歩けないのか? それは恐らくHP本編で触れた事が 理由だろうと思っています。
しかし、その仮説には専門的見地から論理的矛盾・破綻も多いと思っています。 では、物事の進め方・展開という観点で、「道は閉ざされている」という立場と「道は閉じてはいない」という立場では、 取り組まれる方法・手段・試み、取り組まれる方の情熱に違いはないでしょうか? つまり、多くの医師や理学療法士は歩行不能が小脳萎縮に拠るもので、小脳萎縮は現代医学では治療困難なため 歩行が不能である事は仕方ない。という前提に立っておられるのではないでしょうか? 一方、私は歩行不能は小脳萎縮が主因であっても、歩行不能の要因は他にもあって、それを解決する事で 歩行は改善すると考えています。この考えの違いがリハビリの取り組み方・進め方に 現れるのは当然だと思うのです。私の場合は段階的取り組みで改善できると考えているのですから。
では私の考える歩行不能の他の要因とは? 私は歩けなくしているのは自分自身だと思っているのです。 歩行が不安定になると、安定を保とう、体をブレないようにしよう、重心をハズサナイようにしようという意識が働いて 無意識に身体を硬くし、柔軟性を失い、安定の幅を自分で狭くしてしまうと考えています。 安定の余地が狭くなるとマスマス歩行は窮屈になります。それを誰よりも感じているのは自分自身です。 そんな不安は歩行スタイルに現れます。腰が引けて、歩幅が狭まり、顔が上げられなくなります。 慎重にと思うと、無意識に抜き足・差し足になりベタ足もしくは摺足になります。勿論、歩行スタイルも個人差があって 一様ではありませんが。
私の場合、外部情況で歩行のスタイルが一遍してしまいます。 例えば、床が濡れている時、障害物がある時、左右どちらかに危険がある時、道幅が狭い時、段差がある時等 緊張を意識した時には過剰に体が反応し、歩行を更に難しくしているのを感じます。
そんな心理的作用が体に影響を与える事は、常識となっているにも拘らず、 多分、殆どの人は認めないでしょう。 しかし、私にはこの病気でも心が体の働きに深く関与し、歩行を困難にしているという思いをマスマス強くしています。 自分が作り出した壁を前にすくんでいるとき、「顔を上げて、歩幅を広く、踵から着地して・・」 という指示では身体は応えてくれません。 それは当事者と知識として情報を有するものの温度差というズレでは済まされない問題だと思っています。 次回はもう少し具体的事例をを上げて。