2006.10/12 「歩行イメージ」

私が今までやってきたストレッチや運動療法等のリハビリは、医学的・科学的理論や実績に裏打ちされたものでなく 私の独りよがりな仮説を自分自身の身体を実験台にして試行錯誤してやってきたものです。 現代医学では通説となっている小脳に萎縮(MRI写真を見ると素人の私ですらその証が確認できるほど)が認められ、 告知を受けた当時より進行しているにも拘らず、構音障害や歩行その他に改善が見られます。

又、科学的検査データに基づいても感覚や位置感覚に喪失が認められ、有効な治療法がないと 言われているにも拘らず、かすかに感覚が戻ってきているようにおもいます。訪問リハビリに来ていただいている理学療法士の方も 完全に感覚を喪失していたとしたらそのような動きが取れるはずはなく、 「どこかで感覚を拾っている」と仰っています。理学療法士の方にストレッチをしていただいている時も 弛緩の瞬間が解ります。もし感覚が全くないならそのような事が実感できるわけがありません。 その感覚は昔からあったのではなく提唱しているリハビリをやるようになって感じることが出来るようになり、鋭敏になりました。

これらの事実は、現代医学では有り得ないと言われる脳の可塑性のような働きが私の脊髄小脳変性症と多発根神経障害に 起こったからではないかと思います。

しかし、歩行については自分の思い描く歩行のスタイルを求め、試行錯誤の渦中にあり、当初はどんな不恰好でも 転倒せずに前に進めば良いと考え、実際近くの公園までは一人で行ける様になっていたにも拘らず、転倒を期に より安定した歩行スタイルを求め、それまでのスタイルをリセットしたこともあって未だ一人で外出できる 状態には至っていません。しかし、どれほどの時間と努力がいるのか想像もできませんが今の方法の延長線上に、より安定した歩行があると 思っております。

ところが、歩行スタイルのイメージが今までどうしても描けませんでした。 意味不明に聞こえるでしょうが、そうとしか表現できません。

私は、イメージをリハビリに取り入れるはるか前から、他人の歩く様子を眺めて参考にしてきました。 ある瞬間物凄く上手に真似て歩ける時があり、その状態が一瞬で終わる事もあれば1日〜2日続く事もありました。 しかし、いつも何故上手く歩けたかのか理由が分かりませんでした。

理由は解らなくても、身体に覚えこませようとするのですが、今度こそ「体得した」と思っても、暫くすると嘘のように 忘れてしまう。多分そんな経験を1千回以上も重ねてきたような気がします。 そしてどんな場合も良い状態の歩行イメージが描けませんでした。 それさえ描ければ、歩行が格段に良くなると考えていたのですが。

歩行とは歩行できる人にとっては、無意識のごく当たり前の動作なのに、歩く事が出来ない人間にとっては 不可解極まりない高度な機能に違いありません。歩行には万人共通の処方箋など有り得ないようです。

ゴルフをされた人なら解ってもらえるかもしれませんが、ゴルフのスイングと相通じるところがあるように私は思っています。 ゴルフのスイングには実にたくさんの要素が一瞬に凝縮されていて、その全てが上手く噛みあわないと 球を遠くに真っ直ぐ飛ばす事が出来ません。スイングアークが大きいだけでも、 フェースがスクエアーでも、体の回転が十分なされても、それだけではダメです。

私は歩行にもそれと共通するところがあるのではないかと考えています。自分の中でチェック項目をいくつ作っても 足りません。かといって、作りすぎると瞬時の動作でチェックしきれませんし、絞り込むと他が疎かになったり、偏りすぎて 却って乱れてしまいます。

そんなことでどうしても歩行のイメージが描けませんでしたが、見つけました。

「観察による歩行分析」(医学書院刊)という専門書の中に健常者の歩行の連続写真が載っています。 理学療法士さんがお読みになる専門書なので、それぞれのシーンの専門的解説は解りませんが、細部に拘らず 全体のリズムというか体の流れを見ていると、私が描いていたイメージがとんでもなく間違っていた事に気づきました。 それは、文章や言葉では表せない極めて感覚的なものですが、私にとってはコペルニクス的転回にも等しい事でした。 それによって、私の歩行が大きく変るような気がしています。

後は今までの歩行から、目指す歩行のイメージを意識しないでも、何時如何なる時にでもそのスタイルがとれるように 繰り返し身体に脳に刷り込んで身につけることが課題ですが、身についてしまった事を変えることは生半可な事では出来ません。 そんな状態で今は、良い状態と悪い状態がほんの一瞬で入れ替わる不安定な状態です。

しかし、他の人がそれを見て私のようにヒントを得られるかどうかは解りません。 冒頭で申し上げたように、私の試行錯誤の過程をお話して、他の人にも同様の改善が 起こるキッカケになればと考えていますが、表現の拙さもあって、話せば話すほどポイントからズレていくような感じ、 言葉では言い表せない重要なポイント、私の意図が上手く伝わっていないのを感じております。 歩けないという事実は同じでも、同じところで躓いているとは限りませんし、バランス保持能力や関節可動域も 違います、ある感覚を共有するためには同じようなレベルにあることも必要です。 何故なら、その試行錯誤の過程の中でしか、掴めない「何か」があるように思えるからです。 歩行を理屈として理解する事と、障害をお持ちの方一人一人にとって実際的歩行に結びつける事との間には 相当の開きがあると思うからです。